アウトソーシングで女性のキャリアと社会をつなぐ~キャリア・マム 代表取締役 堤香苗氏インタビュー
インターネットがまだ普及していなかった95年、口コミだけで500組の親子を集めたイベントを仕掛けた「キャリア・マム」前身の「PAO」は、代表の堤香苗氏がママ友3人で立ち上げた育児サークルだった。
その後20年以上にわたって女性キャリア支援のノウハウを積み重ね、今では全国約10万人の主婦会員を有し、マーケティング・アウトソーシング、コワーキング施設運営など多岐にわたる事業をキャリア・マムでは展開している。
中小企業庁の中小企業政策審議会委員、内閣府の規制改革推進会議専門委員なども務め、幅広く活躍しているキャリア・マム代表取締役の堤香苗氏に話を伺った。
働くことは、社会とつながること
堤さんはどのようなお子さんだったのですか。
私は生まれたときに心臓が弱く、「この子は3歳まで持つかどうかわからない」と医者に言われたために、親からは大切に育てられました。
あまり裕福ではない家でしたが、私のために日当たりのいい部屋がある家を探し、6回も引っ越してくれました。
最初は貸し間、そのうち貸家に住み、私が2歳の時に母方の援助もあってようやく戸建てを購入できました。
学校も、そこそこお金がかかる神戸女学院に行かせてくれて、中学2年生のときにはカナダのドミトリーステイにも参加しました。
両親は私にお金を全部つぎ込んでくれていたんです。父は昨年亡くなりましたが、貯金が本当に少なくてびっくりしました(笑)。
お母様はご苦労されたのですね。
母はずっと専業主婦でした。その生き方を否定するわけではありませんが、専業主婦を60年やっていると、父に寄り添い、自分で考えなくなるので、社会の中で働き続けるということは大事ですね。
もし私も同じように専業主婦を選択していたら、自分では何ひとつ決められない人間になっていたと思います。
働くということで社会とつながることの大切さがあると思います。そんな母も、今年からボランティア活動を始めています。
父が一緒のときにはとてもかなわなかったことです。最初は「お父さんが生きていたときは……」「お父さんは……」ばかりだったので、「お父さんは亡くなったのだから、お父さんの価値観で生きるのはもうやめて」と頼みました。
今しているのは1時間に100円分のスタンプがもらえるだけのボランティアですが、本人は嬉しそうです。母は85歳ですが、その歳から始まる人生もあるんです。
大学在学中からフリーアナウンサーとして活躍されていましたね。
ちょっと有名になってチヤホヤされたい気持ちもあったんです。イケるかも、と(笑)。
小さい頃は体が弱く外で遊べなかったこともあって、本ばかり読んでいましたから、想像力豊かでお話を作るのが好きで、いろいろな方の人生を生きてみたいと思っていました。お芝居にも興味がありましたから、演劇を専攻できる早稲田大学に入りました。
当時はちょうど女子大生ブームで、アナウンス研究会に入って人前でお話しする機会をいただきながら、自分でオーディションを受けてラジオのパーソナリティをしたりしました。
テレビ局にも出入りするようになり、芸能人に会うと、強烈な個性の人ばかりで、中途半端な人は無理だということが分かりました。
そこで芝居のことをちゃんと学びたいと考えて、どうせやるなら難しいところにチャレンジするつもりで文学座を受けました。
一番倍率が高い劇団で、5000人以上受けて25人しか受からないのですが、合格して入ることができました。でも実際にやってみると自分の実力を思い知らされて、とても無理だとあきらめ、テレビやラジオの仕事に戻りました。
その頃の経験から、伝え方のコツ、伝えることを学びました。じつは私は圧倒的に営業型の社長なんです。どんなガラクタでも売る自信があります(笑)。
傍観者になるのではなく、それを受け入れて本気で向き合う
その後、結婚・出産後、育児サークルを経て、「キャリア・マム」を立ち上げられた。
95年ごろ、育児サークルで、障がいのあるお子さんも含めた、親子で音楽を楽しむイベントを開催したのですが、これが大成功でした。
今のようにインターネットが普及していない時代に、500組ほどの親子が参加してくれたんです。
そうするうちに、母親たちが「育児が落ち着いたらまた働きたい」という気持ちを持っていることに気づき、その一方で、「主婦の力を借りて座談会や商品開発などができないか」という企業側からの相談を受け、企業と主婦のマッチングをするようになり、2000年に株式会社化しました。
障がいを持つお子さんを見たことが最初のイベントのきっかけになったそうですね。
はい、それがキャリア・マムを作るきっかけにもなっています。ある日公園で長男を遊ばせていると、アルビノ(先天性白皮症)のお子さんが公園にやってきました。
色素が欠乏する病気で見た目が普通の子と違いますから、他の子どもたちは囃したりしていました。
その子のお母様は一生懸命に病気のことを説明していたのですが、うまく通じず、その親子は数日で来なくなってしまいました。
半年ほどたったころにその親子を夜の公園で見かけ、話を聞くと、「昼に公園に行くと、どこでもアルビノであることが目立ってしまい、ああいうことが起きてしまう。
だから昼は家にいて、こうやって夜に遊ばせている」ということでした。なんてひどいと思いましたが、私は、昼にその親子が公園に来ている様子を見ていたのに何もしなかったんです。
傍観者になることで、結果的にその親子に悲しい思いをさせていました。昔とは違って、今はそういう差別やいじめを止める人間がいないんですね。止めたら自分がいじめられる側になってしまうから。
自分が思ったことを自分の言葉で発言しない世の中になっている。その公園で見た風景が、私が変わった理由です。
障がい者差別は、健常な子どもたちが障がいについてちゃんとした知識を得ることで変わると思っています。そこで手話コンサートや点字の体験ができるようなイベントを開いたわけです。
見て見ぬふり、というのは社会の様々な場面で見られますね。
品のない大人が増えました。いじめも増え、人の失敗に不寛容な社会になってきていると感じます。
同じ家の中にいる人間が、それぞれの人生を悩みながら生きていく姿を次の世代に見せることが大事なんです。
「自分の得にはならなくても地域のために動く」というようなことは学校で教えられるものではありません。人間の品にかかわることです。
私はキリスト教系の中高に通って、罪びとをそのまま受け入れていくキリストの教えに衝撃を受けました。
人を受け入れること、人に対する優しさとは何か、頭ではわかっているのですが、一方で感情もありますから、たとえば社員ができなければいら立ちますし、裏切られれば悲しくなりますし、理解してもらえなければ怒りもします。
でも、基本的には受け入れるしかない。そのために最善をつくしていくことが大切なんです。
人生において、失敗は絶対にあるものです。子どもたちは良くも悪しくも親を反面教師として学んでいきますから、大人は人生を謳歌していた方が子どもたちにとって良い影響を与えるんです。
子どもの後ろを追っかけてまわるより、ハチャメチャだったり、失敗しても、笑顔であきらめずに再チャレンジしたほうが、子どもは楽になれます。「あんなに失敗したのに、人生楽しそうにしている」と思ってくれますから。
今の社会はハウツー本などが氾濫していて、「成功する方法」にこだわりすぎているのではないでしょうか。自分の実体験でうまくいかないと悔しい、といった葛藤から、どうすればいいのかということを本気で考えないと、人間の性根は簡単に変わらないと思います。
社員の言葉に、もう逃げることを考えるのはやめようと思った
キャリア・マムの業務は、企業と主婦をつなぐマッチング事業がメインでしょうか。
子育てや介護などがあってフルタイム勤務や通勤が難しい方が、インターネットを活用してパソコンで仕事ができるようにという形でやっています。
ひとりひとりの働ける時間が短い場合には3人で1人分の仕事をするなど、チーム型のアウトソーシングですね。大量の作業をチームプレーで短納期で行う、全国どこでも均質化する、という方針です。
働いている人は消費者としての顔も持っていますので、マーケティング調査の対象にもなります。
自分の生き方を豊かすることを第一に考えている方ばかりですので、その特性を活かして、企業から様々な業務を請負うマンパワーを提供しています。
人材派遣や人材紹介とは異なり、人をひとりその仕事に充てています。企業から業務を切り出していただき、業務ごとにマンパワーを提供しています。
人材派遣や人材紹介という事業には面白味を感じないんです。誰かひとりを派遣するのではなく、よりたくさんの人に自分らしく働いてもらうという企業理念なんです。
力のある人だけが働いて仕事をおしまいにするつもりはなく、今後もこのスタンスで続けていこうと思っています。
会社の転機はありましたか。
会社が11期目の頃、赤字が続いたことがありました。ちょっとした赤字はすぐに取り返せると思っていたのですが、最終的に3000万円以上の赤字になり、会社を締めることも考えました。そんなことを考えたのはこの時だけです。
すると、「この会社が潰れたら困る人がたくさんいます。私の働きぶりが嫌なのでなければ、無休でいいから働かせてください」と2人の社員から言われました。
こんな社長にそこまで言ってくれて、会社を一緒に守りたいと言ってくれる人がいるなら、もう会社を売ったり逃げたりすることを考えるのはやめようと思いました。
これが一番大きな転機でしたね。それからはキャリア・マムは「私の会社」ではなく、「みんなの会社」になりました。
アウトソーシングの需要も変化していますか。
20年以上続けてこられたのは、2種、3種の事業をバランスよく続けてきたからだと思います。
コワーキングのような新規事業もありますが、本末は元々行ってきた企業のアウトソーシング事業です。
アウトソーシングの業務内容も時代の流れ、ITの進化につれて変化しており、簡単なデータ入力が減る一方、調査系や、ライティングや写真、動画の編集といったコンテンツ系は増えました。
パーソナルスキルがより必要になり、活かすことができるようになっていますね。「その人らしさ」の要らない仕事なら、AIがやればいいでしょう。
私たちは「人がやる仕事」に徹底的にこだわりたいし、「人がやる仕事」だからこそ、東京にいなくても在宅でできると思っています。在宅でもたくさん働いてたくさん稼ぐ方はスキルがないと難しいですね。
資産形成は、1%を社会のために使うことから
働き方が変わる中、資産形成についての考え方も変わりましたか。
経済は、個人のパーソナルスキルと、それが欲しい企業でがあれば成り立ちます。自分のスキルの見せ方を工夫すれば、小さいお金でもコツコツ積み重ねることができ、大きな資産も残せます。
貯金や節約を楽しんでやるのもいいですが、中途半端な節約ではいけません。
増やすことを考えていかないといけない。なけなしのコストをセーブすることばかり考えても、元手が少なければ意味がありません。
元手が少ないなりに、増やしていくことを考えなければならない。そのためには経済原則を考えること。たとえばお客様が喜んでくれることをやることも経済原則です。
自分の能力の中で何ができるかを一生懸命考えるしかないのです。
お客様に喜んでいただくことと、自分の報酬はリンクしているわけですね。
一般企業に勤めていれば、自分の仕事のクォリティにかかわらず、毎月決まった日に給料が振り込まれます。それに馴れてしまうと、自分のパフォーマンス=報酬ではないことを忘れてしまいがちになります。
フリーマーケットやメルカリに出品するのでも、ちょっと工夫すれば商品が売れますが、何の工夫もしなければ売れません。
お客様に喜んでもらえることと残念がられてしまうことの違いは、失敗してみなければ絶対分かりません。
失敗した実体験をできるだけしておくと、ちょっとした成功でもめちゃくちゃ嬉しくなります。
失敗を恐れず、ちょっとした成功を楽しむために体験する。本やネットでも勉強できますが、やはり新聞も読み、メディアによる特性を理解して情報を得る。
人の言葉も大事ですから、いろいろな方とコミュニケーションし、人が体験したことを追体験することも大事です。
儲けようとばかり思っていると失敗してしまいますよね。
自分の動かせるお金の1%でも、ボランティアや寄付など世の中のためにお金を放してみると、お金の価値が見えてきます。
1%はボランティア、1%は運用、1%は自分の将来のキャリアのために使うのがいいでしょう。
失敗する人は、自分のお金ばかりを増やそうとします。詐欺の手口でも、最初に結構な額を儲けさせてから大金を騙し取りますよね。
お金を増やそうと考えるとそういう目にあってしまいますが、見返りを求めないお金の出し方、お金の活かし方を考えれば、社会から尊ばれる人になれると思います。
今後、働く環境はどのように変わっていくでしょうか。
知恵がある人が勝ち上がるだろうなと思います。言われていることしかできない人は豊かになれない。自分の豊かさを作るのは自分自身の知恵です。
20世紀は力の時代、長く働けて残業も転勤もできる人だけが生き残れる、男性優位な時代でした。今、パソコンを操作するのに力は不要です。
男女も関係ありません。これまではハンディキャップと思われてきた人でも、ダイバーシティの世の中で活躍できるようになってきたと思います。
そんな中で、誰かから与えられるのを待つのではなく、自分で学んで成長する人材が求められています。家庭にいる母親たちも、自分の子どもたちにどんなふうに生き方を示していけるかを示していかなければなりません。
人手不足ですから、ダイバーシティで、その意思さえあれば条件の悪い人でも活躍できますし、給料もそこそこもらえますが、会社では100のポテンシャルある人にこそ給料を支払いたいと考えます。
40くらいのポテンシャルの方にも労働法上支払わなければなりませんが、経営者としては、もっと弱肉強食でもいいのではないかと思います。
社名 | 株式会社キャリア・マム |
所在地 | 東京都多摩市1-46-1 ココリア多摩センター5F |
ホームページ | http://www.c-mam.co.jp/ https://corp.c-mam.co.jp/ |
代表取締役 | 堤 香苗 神戸女学院高等学部、早稲田大学第一文学部「演劇専攻」卒業、早稲田大学在学中よりフリーアナウンサーとして活躍。1996年に育児サークルを立ち上げ、親子イベントなどを主催。女性たちからの「育児が落ち着いたらまた働きたい」という声を受け、現在のチーム型在宅就業事業(アウトソーシング請負事業)を考案し、事業を開始。 2000年株式会社キャリア・マムを設立。 官公庁の委員実績多数、女性のキャリア支援、テレワーク推進等のテーマで講演、執筆など幅広く活動中。 |
取材日:2020年1月9日