ライフプランもアドバイスできる不動産仲介が語る「お台場ライフ」の魅力~リアルサンライズ 小林正日出氏インタビュー

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有限会社リアルサンライズ 小林正日出氏インタビュー
臨海副都心開発で港区台場ができたのは1996年(平成8年)のこと、翌年にはフジテレビが移転し、一気に知名度が上がり、2002年にはりんかい線が全線開通、商業施設のみならず居住施設やランドマークも続々と誕生しました。

有限会社リアルサンライズは、そんなお台場を知り尽くしたマンション仲介会社。理系で百貨店出身というユニークな経歴の小林正日出社長の理想は、「追いかけなくてもお客様が来てくれる不動産仲介業」、そう考えるようになった原点と、お台場の魅力について伺った。

機械工学の世界から人間を求めて百貨店へ

小林さんのご経歴は大変ユニークですね。

大学は機械工学専攻で、親に言われて別に急ぐことないかなと思って大学院に進みました。

当時は日航機墜落事故があり、「金属疲労」という言葉が流行った頃で、私のいた材料力学研究室でもそれに関連する研究をしており、ツナギを着て研究室に泊まり込んでは、この金属はいつ壊れるだろうといった実験に明け暮れていました。

当時はエンジニア以外の道はまったく考えておらず、大学院の2年間はかなり真面目に勉強して成績もバッチリ取りました。

ところが、一生懸命勉強したら、数学や力学、物理、そういうものをやりきった感覚に襲われて、今度は人間相手の仕事をしたいと思うようになったんです。

何かきっかけがあったのでしょうか。

大部分の友達は工場や研究所に就職していったのですが、広島工場とか、愛知県のどことか、という話を聞いて、自分もそうなるのかなと思いましたが、東京生まれだったこともあり、自分が地方に行くというイメージをもてなかったんですね。

だんだん東京にいたいという気持ちも出てきて、これからの人生は数学とは関係のない、人間のことをやっていきたいという気持ちになったわけです。

それで渋谷の東急百貨店に就職された。

なぜ東急かというのも、別になくて、他の百貨店は全国にありますが、東急は札幌以外は東京だけでしたから、東京に残れるということもありました。

当時は景気もよかったから、望めば採ってもらえるだろうと就職活動を舐めていましたので、それが裏目に出て内定も大してとれなかったんです。

成績はよかったのですが、今考えると、企業側からすれば、何も2歳年くった人間を優先的に採ることもないと思ったのでしょうね。

結局拾ってくれたのが東急百貨店だったわけです。

新卒仲間の中で大学院を出たのは私だけで、周りからはちょっと不思議な存在だったと思います。

東急百貨店で配属された職場は?

まずは婦人服に2年間いき、その後、販売促進に4~5年ほどいて、それから組合専従に引っ張られました。

またずいぶん人間臭い仕事ですよね。数学ばかりやっていたのとは全然違う。

違和感はありませんでしたね。

大学で勉強したことが世の中に出て役に立つことなんて、あるようで、なかなかありませんよ、やっぱりないと思うんですよね。

そういう意味では、大学4年なり6年なりの時間が無駄だったかというと、自分に限らず、ほぼ全員同じですから、何とも思いませんでした。

なるほど。それからどこに配属になりましたか。

組合から戻ってきて経理に入って、そこで5年ほどいました。

経理にいると帳簿を付けるので、簿記ができるようになり、取引先の決算書などを見る機会もありました。

もうこれで帳簿もつけられるし、決算書も作れるから、自分で会社起こせるなと思いました。

それで取引先の決算書を見るうち、江戸時代に創業した呉服屋さんや小間物屋さんが百年も続いているのは、銀座などにビル持っていて、不動産収入があるからだということに気づきました。

それとは別に、組合にいたときに、住宅ローンで苦しんだり失敗したりした社員も見て、不動産というのは気をつけないと人生の勝ち負けに大きく関わるという実感がありました。

そこで、ちょっと本格的に不動産を勉強する価値があると思ったんですね。

不動産の世界に興味をもたれたわけですね。

その頃、東急百貨店でも希望退職者の募集があり、私はまだ30代でしたが、それが50代、40代、とだんだん下がってきた。

そのときに、もう自分で会社できる、そして不動産は面白そうだと思ったわけです。あと、正直言ってサラリーマンがやはりつまらなかったんですよね。(あ、東急はいい会社ですよ)

普段から妻にも、仕事がつまらないと文句タラタラだったと思います。

そんなときに東急百貨店から、退職金が通常いくらのところを今手を挙げれば何倍にしますという希望退職者募集の紙が配られたので、それを妻に見せたら、「じゃあ辞めちゃえば」って言われたんです。

すばらしい奥様ですね!

そうですね、何かすごく肝が座っているというか。
でも不思議なんですよ。

仕事がつまらないと愚痴りながら、知っている非営利法人の求人広告が新聞に載っていたので、こういうところならと思って、「ここに履歴書出そうと思うんだけど」と妻に言ったことがあるのですが、そのときは、もう半泣きで「辞めてください」と言われたんですよね。

そうか、妻は(当時)一部上場企業の東急百貨店に勤めている俺と結婚したんだな、じゃあ俺は60歳まで辞められないと、そのときはそう思いました。

ところが、希望退職者募集の紙を見せたときは「いいんじゃない」と言うので、「あれっ」と思いました。

たしか当時は子どもが5歳と1歳くらいでしたが、もうサラリーマンやりたくなかった。

再就職も斡旋してもらえたのですが、再就職するつもりもなく、不動産のことは全然素人だったのですが、ど素人のままで始めることになりました。

不動産営業マンの仕事の仕方に疑問をもつ

不動産営業マンの仕事の仕方に疑問をもつ小林正日出氏

大決心でしたね。
いきなり開業はさすがに無理だという周りの声もあったので、結局、社員5~10人くらいで全体を見られる小さな不動産屋さんに入って勉強しました。

そうすると、不動産営業というのはノルマがすごく厳しくて、またそういう小さい会社ですからワンマン社長で、やはり面白くないから、1年は頑張ろうと思っていたのですが、9ヶ月で辞めてしまいました。

不動産営業の仕事の仕方に疑問を持った?

主にやっていたのは売買仲介の買主側です。

不動産仲介の仕組みというのは、売主が売主側の不動産屋に売却を依頼して、買主が買主側の業者に購入依頼するという4者になります。

私がいた会社の位置は買主側の仲介業者ですから、買主側の仲介業者同士でお客さんの取り合いになるわけです。

お客さんから問い合わせがきて、他にもこんな物件がありますと説明すると、「その物件は見たことある、向こうの業者で紹介された」と言われるわけです。これが度重なるとおたがい疲れますよね。

それが教訓になって、今の会社の「電話営業はしない」というようなポリシーにつながっているのですね。

そうです、業界の慣習的な営業がおかしいと思うことはたくさんありました。

とにかく客とってこいという毎日で、家を買う決定権者というのは一家のお父さんですから、主な営業タイムは、お父さんが帰宅する夜6時、7時がスタートなんです。

お客さんからすれば、仕事で疲れて帰って、ご飯食べてお風呂入ろうというときに電話がかかってくる。

こちらも悪いなとは思っているのですが、どの業者もそれをやっていましたから、お客さんは不動産を買うまでの何カ月か、相当に気持ちをすり減らすんです。

ちゃんと信頼される不動産屋になって、他と競争せずに任せてもらえるように信頼してもらえれば、こんなに疲れない家探しに協力できると思いました。

その会社に勤めていた1年弱の間に、ライバル不動産会社の営業マンにたくさん会いましたが、ちょっと口悪いかもしれませんけど、やはりなっていないんですよね。

今まではデパートの売り場で「いらっしゃいませ」「〇〇さま、こちらでございます」という接客販売の世界ですから、お客さんに嘘ついて煽って、買ってくださいというのでは、業界全体のマイナスだと思いました。

百貨店の接客品質で家を売れば、分かる人には分かってもらえるのではないか、本当に真面目にお客さんのためにやれば、風穴を開けられると思ったんです。

たしかに不動産業界にはそういうイメージがありますね。

そうなんですよね、なぜでしょうね。
大手の不動産会社でちゃんと研修を受けているだろう人でも同じで、態度や言葉遣いがちゃんとしている人が少ないんです。

無理してお客さんをとりに行かず、じっと待っていてもお客さんに来ていただける不動産屋になろうと思ったわけですね。

そうですね、それを目指しています。
ただ最初のころはそうもいかないですから、昔の友達や同級生、お世話になった人などに、開業しましたのでよろしくとご挨拶して回りました。

独立されたのはいつ頃のことですか?

独立したのは平成17年開業かな、もう15年になりましたね。場所はここで今と変わりません。

お台場は東京都のつくった街で、当時住宅といえばUR賃貸と東京都住宅供給公社の都民住宅しかなく、ほとんどの不動産屋は扱わせてもらえませんでした。

平成18年になってようやく民間の分譲マンションが建ち、扱える物件ができたので、ホームページでお台場の物件紹介を始めたんです。

そういうことをやっている業者は他になかったので人気が出て、だんだんホームページがお台場専門みたいな感じになっていきました。

仕事の比率もお台場が増えて実績がついたので、URや公社の賃貸もやらせてもらえるようになり、お台場の住宅を全部扱えるようになったので、もっとお台場に気合を入れてやっていこうという感じから、今のようになりました。

お台場の魅力は語りつくせない

分譲マンション「THE TOWERS DAIBA」

分譲マンション「THE TOWERS DAIBA」

 

お台場の良さをアピールしてください。

行けば分かると思いますが、お台場はいいですよ。「ここに住むことができるんだ!」と言われるほど別世界というか、もちろん港区だから通勤便利ですし。

私が住み始めたのは平成8年くらいですが、そのころは交通手段は新橋からゆりかもめが出ていただけで、りんかい線も通っていませんでした。ゆりかもめも今より30分くらい終電が早かったですね、今は便利になりました。

当初は近場のわりに便利ではないけど、普通に生活できるし、雪だの台風だのでレインボーブリッジが止まることもありましたが、年に1、2回のことですから、たいした苦労ではなかった。

お台場に住んでいていいのは、うちに帰ると仕事オフの気持ちになれるということです。

お台場の一番街という駅から10分ほどのところに住んでいるのですが、その10分歩くのがまたいいんです。

左が海で、右が公園や学校、その10分を歩くことで身体と気持ちをリセットできる。

都心にはそういう環境はなかなかありませんね。

ちょっと前まで、「お台場 マンション」で検索してお台場の評判を調べると、「あんなところ住むもんじゃない」と悪くいうサイトが上位だったことがありました。

それによると、コミケに限りませんが、いろいろなイベントがあって人がワーッと来ちゃうからたまったもんじゃない、あんなところ絶対住めないと書いてあったのですが、違うんですよ。

たしかにコミケがあるとき電車はめちゃくちゃ混むし、ビッグサイトのほうは人いっぱいですが、お台場の住宅地は1駅離れていますから、そんなに騒がしくなるようなことはありません。

電車が混むのはお台場に住んでいる人たちの動線と逆方向で、コミケの朝にお台場に帰ったり、夜に都心へ行く用事があるときはぶつかりますけど、住んでいる人の動線とは基本的に逆なんですね。

ゆりかもめにしてもりんかい線にしても、お台場から新宿に行くときはほとんど座れます。まだ渋谷の東急に勤めていた当時、銀座線の新橋から虎ノ門までは混んだけど、それ以外はそんなに混んでいないから、快適でした。

お台場に住みたいという方は、もうお台場1本に希望を絞っている感じですか?

お台場1本ですね、お台場で買いたいとなると、港区台場では「タワーズ台場」という分譲マンションだけで、やはりちょっと高くて、年収数百万のサラリーマンの収入だと厳しいですね。

予算に合わなかった人に有明の物件を勧めたこともありますが、お台場がいい人はやっぱりお台場じゃないとダメなんですね。

有明も前よりは住みやすくなっているし、人も増えて雰囲気は変わりつつありますが、やはりお台場人気は当分なくならないと思いますね。

賃貸マンション「シーリアお台場」

賃貸マンション「シーリアお台場」

 

お台場にはもう歴史ができていますね。

阪神大震災の後に開発されて、地震に耐えるようにできていますから、タイミングもよかったんです。

台風、高潮も考慮して東京都が設計していますので、東日本大震災の際も相当揺れましたが、マンションや住宅街、商業施設も何ともなかったし、うちではあの日夕方6時にはエレベーターは動き始め、ガスは一晩使えなかったけど、電気も水道も大丈夫でした。

潮風公園のほうは液状化したり、新木場や浦安はずいぶんダメージありましたが、お台場は埋め立て地でも街づくりがよくて、液状化とか大丈夫なのかと心配する人もいますが、本当に強いんです。

住みやすさとは別に、投資目的でお台場はどうですか?

投資目的で買うとなると「タワーズ台場」ですが、分譲された平成18年から分譲価格を下回ったことはほとんどなく、いまだに分譲価格より高い金額で取引されています。

これから先もお台場は人気が落ちないでしょうね。

有明の人口が増えて物件供給が増えても、港区台場というブランドもあるし、お台場海浜公園まで歩いて数分だし、デックスやアクアシティ、パレットタウンといった商業施設にいつでも歩いて行ける。

やっぱり楽しいですよ、お台場。

私はお台場で子育てをしましたが、海があるからもう大喜びだし、自然もあればミュージアム的な施設もたくさんあるから子育てには非常にいいですね。

みんなが楽しく遊びに来る場所なので、良い「気」が満ちている。笑顔でいる街なんですよ。

言うまでもなく眺めは最高だし、お台場のよさは言いはじめるときりはないです。お台場は良いとこどりをできている場所だと思います。

若夫婦などがメインのお客様ですか。

当初はそうでしたけれども、もう人が住んで20年も経ちますから、今はちょうどいいというか、ニュータウンは何十年も経つと街全体が古くなっていって、住人も高齢化しますが、まだそこまでいっていません。次の世代もお台場に住みたいと考えるから、たぶんそうならないと思うんですよね。

シニアのお客様もいらっしゃいますね。

東京都の作った住宅地ですから、シニア向けというくくりの住宅もあり、一人暮らしの高齢者のために同棟内に生活協力員がいたりします。

賃貸マンション「トミンタワー台場」「トミンハイム台場」

賃貸マンション「トミンタワー台場」「トミンハイム台場」

 

ライフプランを踏まえてアドバイスできる不動産屋さん

当初目標にしていた、お客さんのほうから来ていただけるような不動産屋さんになれているという実感がありますか?

おかげさまで、開業当初のようにこちらからアプローチしてしがみつくような気持ちはなくなりました。

今までのお客様が紹介してくださったりするのが大部分を占めています。

私は比較的に、借りたい人、買いたい人側ですから、物件を管理している不動産屋さんから情報をいただいて、「今これがありますよ」と紹介するのが主なスタンスです。

ほとんどが自社物件ではなく他社物件なので、平等に公平に、どの物件も紹介しますので、お客様視点で「ちょっと相場より高いです」とか「こっちのほうが眺めがいいですね」というように公平にアドバイスできますね。

街の不動産屋さんはこれから厳しくなるとも言われますが。

あるかもしれないですね。今、大家さんの直取引は「ジモティ」や「ウチコミ!」などがありますから、そちらで成約することは増えていると思います。

ちゃんと事業としてアパート業をやれている大家さんなら、不動産屋を通す意味は少ないでしょうし、入居者さんも安心して住めるでしょうね。

でも、そうでないところは、まだやはり不動産仲介会社は必要だと思います。

不動産仲介業の存在意義は何だと思いますか。

取引の安全や利便性です。分かりやすい例でいうと、銀行のローンではないでしょうか。売主、買主だけで仲介業者を通さない場合、買主さんはおそらく銀行からローンを借りられないと思います。

銀行は仲介業者の印をついた重要事項説明書を見せろと言ってきますから、仲介業者が入っていないといけない。それは当分変わらないのではないでしょうか。

ローンも含めたお話になると、ファイナンシャルプランナーというお仕事にも関係してくると思いますが、ライフプランも含めてご相談に乗ってあげることもされていますか。

じつはファイナンシャルプランナーとしてお客様にアドバイスしたことは、開業して15年の間で数回しかありませんが、不動産営業としてお客様が買われるお手伝いや不動産投資のアドバイスをする中では、ファイナンシャルプランナーの勉強した成果が生きていると思います。

特に今は不動産は高いので、買いたいと言う人にあえて「やめたほうがいいです」とは言いませんが、迷っている人には「今、東京の都心は高いよ」とは言います。

これは自分が不動産屋としてだけではなく、いろいろなものを見る視点を持っているから言えることだと思います。

有限会社リアルサンライズ 小林正日出氏インタビュー終了
 

会社名 有限会社リアルサンライズ
代表者 取締役社長 小林 正日出
所在地 ◆東新宿店 〒160-0022 東京都新宿区新宿7-12-2 新宿武蔵野マンション1階
主な事業 不動産の売買、貸借、管理、仲介
不動産を生かし、資産形成のためのあらゆるお手伝い
営業開始 平成17年5月23日
URL https://realsunrise.jp/

取材日:2020年3月11日

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